塩の日 ~1月15日~
自然が生み出した『天然の原料』
塩は、私たちの暮らしにとっても身近にある食べ物ですよね。
食べ物というより、調味料といったほうが正しいかもしれません。
ときに、この塩は、食用以外にも使われています。
保存するためだったり、道路の凍結防止やすべり止め、石鹸やアルミなどの工業製品を作るとき、相撲やお清めなどの行事にも使われています。
どの家庭にもあるこの塩ですが、じつは私たち人間の健康とは切っても切れない強い関係があるんですよね。
身の回りにはたくさんの食品があります。
植物性の食品もあれば、動物性の食品もあります。
例えば、お砂糖はさとうきびから作られているので、植物性です。
お醤油も大豆や小麦から作られているので、植物性ですね。
バターは牛乳から作られているので、動物性です。
このように、食品には植物性と動物性に分けられています。
それでは、塩はどちらなのでしょうか。
塩は、海水から作られますよね。
海水って植物性? それとも動物性?
答えは、「どちらでもない」です。
「えっ?! どちらでもないってことは、塩ってなんなの?」と思われる方もいらっしゃると思います。
じつは、塩だけが『すべての食品の中で、唯一どちらにも属さない食品』なんです。
塩の成分はミネラルでできていて、基本的には海水を煮詰めて塩を作ります。
海は、地球の約70%を占めており、その中では、プランクトンから大きなお魚まで他種多少の生物が暮らしています。
ほかにも昆布やわかめといった、海藻類の植物もありますよね。
海の幸って、どの季節にも旬があって美味しいものです。
海は、自然が生み出した恵みの宝庫であり、塩は天然の原料なのですね。
『敵に塩を送る』
では、なぜ、1月11日が塩の日なんでしょうか。
その歴史は、戦国時代に遡(さかのぼ)ります。
ときは1569年(永禄11年)。
当時、戦国時代の真っただ中、有名な武将がいました。
その一人が越後国「上杉謙信」
現在の新潟県を領土としていました。
そして、もう一人が甲斐国「武田信玄」
現在の山梨県を領土としていました。
この二人は12年もの長い間、5度にも渡る戦(いくさ)や抗争を続けてきました。
甲斐国(現在の山梨県)を領土としていた武田信玄は、その北に隣接する信濃国(現在の長野県)も支配しようと、領土拡大を進めていました。
一方、越後国(現在の新潟県)を領土としていた上杉謙信は、その南に隣接する信濃国(現在の長野県)を攻めてくる武田信玄の進攻を防ごうとしていました。
これが、5度の争いで有名な『川中島の戦い』です。
この戦で出た死者は、上杉軍が3000余、武田軍が4000余と、とても多くの命が奪われた争いとなったそうです。
このとき、武田信玄が領土としていた甲斐国(現在の山梨県)は陸地に囲まれており、塩を入手するには非常に困難を要していました。
一方、上杉謙信は、越後国(現在の新潟県)の領土が海に面していたため、塩を入手するのが容易でした。
ここで、上杉謙信(越後国)が塩を供給する信濃への物流をストップさせれば、おのずと武田信玄(甲斐国)は塩を入手するのがさらに困難となり、健康に必要な塩が欠乏し、兵力も落ちることが容易に想像できたはずです。
そうすれば、武田信玄(甲斐国)の息の根も止まることでしょう。
上杉謙信(越後国)は、争っていながらも一方では経済を重視する考えから、政経分離の方針でこう明言したそうです。
『いま争っているのは、領土拡大についてだ』『米や塩ではない』
そうして、戦で争っている最中でありながらも、信濃への物流は維持したそうです。
この上杉謙信(越後国)の「争いの本質でない部分については、敵であっても弱みにつけ込まずに援助する」という考え方や行動を『敵に塩を送る』と呼ぶようになったそうです。
そして、この塩を送った日が、1569年(永禄11年)1月11日でした。
『ともに生きる』
私たちの暮らしの中でも、大なり小なり、言葉の行き違いや、ちょっとしたことが原因で争いに発展するケースがあると思います。
そんなとき、争っている相手に対しては、つい困らせてやろうとか、苦痛を与えてやろうなどと考えてしまい、助けの手を伸べるなど微塵も思わないでしょう。
しかしながら、争いはあるにせよ、本質的な原因を越えて意地悪をはたらくというのは、人間として褒められるものでは決してありませんよね。
できれば争いはせず、和解して円満に手を取り合うことこそが、『ともに生きる』ということなのかもしれません。
人間はひとりで生きていくことはできません。
だからこそ、目の前の欲や利益に決して溺れず、いまあることに感謝する気持ちをなによりも大切にしていきたいと思います。
上杉謙信のように、人としての生き方を忘れずに生きていきたいですね。